MAS監査とは?
MAS監査とは、経営者と会計の専門家が共に歩む、継続的な経営改善の取り組みです。
単なる財務分析にとどまらず、経営全体を包括的に見直し、持続可能な成長への道筋を描き出していきます。
MAS監査は、5つのステップで継続的な改善サイクルを繰り返します。
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まず「現状分析フェーズ『いまを知る』」で、企業の現状を数値とファクトに基づいて正確に把握します。
次に「長期戦略策定フェーズ『明日を探る』」で、目指すべき未来像を描き、実現可能な長期戦略を立案します。
「実行計画立案フェーズ『道筋を立てる』」では、戦略を具体的なアクションプランに落とし込み、「組織共有フェーズ『共に進む』」で全社員がビジョンと計画を共有します。
そして「継続的改善フェーズ『歩みを進める』」で、PDSサイクルを回しながら着実に改善を進めていきます。
この一連のプロセスを通じて、経営者は自社の真の課題を発見し、具体的な解決策を見出すことができます。それは、単なる数字の改善ではなく、企業としての本質的な成長と発展につながっていくのです。
では、ある架空の建設会社におけるMAS監査の取り組みを通じて、その具体的な進め方をみていきましょう。
山田建設の二代目社長が直面する経営課題
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「このままじゃ、もたないかもしれない…」
山田建設の現社長である山田健太郎は、パソコンの画面に映る経営状況報告書から目を離し、深いため息をつきながら窓の外を見つめた。木場の街並みに沈みゆく夕日が映え、物流倉庫の向こうに、次々と明かりが灯り始める。
二代目社長として経営を引き継いで2年。父から受け継いだこの会社を、何としても守り抜かなければならない。
しかし、円安による資材高騰、慢性的な人手不足…。問題は山積みで、その解決の糸口すら見えない。
隣の応接室からは、経営を退いた後も現場で働く父の声が漏れ聞こえてくる。
「ええ、予定通り工事は完了させていただきました。はい、長年のお付き合いですから。ただ、最近の材料費の高騰は本当に厳しくて…」
父の言葉に、健太郎は複雑な思いを抱く。
受注時の見積もりから材料費が大幅に上昇し、赤字となったこの案件。信用を重んじる父は工事の質は落とさなかったが、それが会社の経営を圧迫している。
これまでの経験や勘だけでは、もはや立ち行かなくなっているのではないか。それを父に理解してもらうことが難しい。
「社長、来月の支払いの件ですが、かなり厳しい状況です」
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経理担当が、遠慮がちに入ってきた。その表情には不安が滲んでいる。健太郎は言葉を待たずとも状況を察した。ここ数ヶ月、資金繰りは徐々に厳しさを増していたのだ。
「何とかしなければ」
そう呟いた瞬間、ふと、顧問税理士との数ヶ月前の会話が蘇った。
「山田さん、経営環境が大きく変化する中で、経験則だけに頼るのはリスクが高すぎます。MAS監査という手法で、経営を数値で見える化し、具体的な改善に結びつけていくのはいかがでしょうか」
顧問税理士の村上の言葉だ。当時は、あまり真剣に聞いていなかった。しかし今、その言葉が強く響いてくる。
健太郎は藁にもすがる思いで、スマートフォンを手に取った。
【現状分析フェーズ『いまを知る』】
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「ご依頼の分析資料をまとめてまいりました」
数日後、村上税理士が山田建設を訪れた。応接室で資料を広げながら、健太郎の表情を見つめている。
「実は、この数ヶ月…」健太郎の言葉が途切れた。
どこから話せばいいのか。材料費の高騰による収益の悪化か、突発的な修繕依頼への対応に追われる現場の混乱か、それとも…。
「山田社長、まずは率直に、現状についてお聞かせください」
村上税理士の穏やかな声に、これまで誰にも打ち明けられなかった悩みが言葉となって溢れ出た。父との関係、社員への思い、会社の将来への不安・・・。
「わかりました。では、現状をできるだけ正確に把握することから始めましょう」
村上税理士は分厚いファイルを開きながら、ページをめくっていく。そこには、健太郎が想像していた以上の緻密な分析が広がっていた。A3用紙いっぱいに描かれた工事採算分析表。過去2年分の全案件の利益率推移が、鮮やかなグラフで示されている。
「この部分をご覧ください。山田建設様の工事粗利率は従来平均23%でしたが、直近の半年では15%まで低下しています。特に、この倉庫改修工事では12%まで落ち込んでいます」
健太郎は無言で資料を見つめた。これは、父が長年のクライアントから受注し、赤字となった案件だ。
その時、ノックの音が響く。振り返ると、そこには父の姿があった。
「話が聞こえてきてね」
父は静かに席に着いた。村上税理士は、まるでこの瞬間を待っていたかのように、新しいページを開いた。
「この倉庫改修工事について、詳しく分析してみました」
予定原価と実績値の比較、時系列での変化、要因分析。色分けされたグラフと表が、問題の本質を浮き彫りにしていく。
「材料費が予算比で15%増加。特に、鉄骨材の高騰が大きく影響しています。また、工期の遅れにより、人件費が予定の1.2倍に膨らんでいます」
父が眉をひそめる。「見積もりが甘かったということか」
健太郎は思わず身を乗り出した。
「この案件の問題は、突発的な修繕依頼に対応せざるを得なかった点にあります。見積もり時点で、材料費の高騰や工期について不安要素がありました。できれば、計画的な補修工事として提案したかったんです」
父は腕を組んで黙り込んだ。確かに今回の赤字は、自分の経験と勘を過信した結果かもしれない。しかし、長年の取引先からの緊急の依頼を断るわけにもいかなかった。その板挟みの中で、ため息をつく。
「今の時代、経験と勘だけでは通用しないのかもしれんな」
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ここで、村上税理士は新しい資料を取り出した。
「この分析もご覧いただけますでしょうか」
そこには、山田建設の過去10年分の工事データが、多角的に分析されていた。特筆すべきは、先代である父の時代の”成功事例”について、その要因が丁寧に分析されている点だ。
「先代の時代に成功を収めた案件には、明確な特徴があります」 村上税理士の穏やかな声が、室内の緊張を少しずつ和らげていく。
「たとえば、材料の発注タイミング。市場動向を見極めて、絶妙なタイミングで発注されています。また、工程管理においても、無駄のない職人の配置が徹底されています。これは、まさに先代の経験と勘が活きている部分です」
村上税理士は更にページをめくった。
「ただ、この成功のパターンを、現在の環境に合わせる必要があります。かつての経験則を、現代の経営管理手法で補強する。それが、今回のMAS監査の重要なポイントなのです」
一枚の表が取り出される。それは、父の経験則を現代の管理手法に”翻訳”したものだった。
『材料発注のタイミング』という項目には、『市場データの分析』『取引先の在庫状況確認』が、『工程管理』の項目には『デジタル工程表による進捗管理』『作業員の配置最適化』が紐付けられている。
健太郎は、その表に見入った。これまで漠然と感じていた「父の経営手法と自分の考え方の違い」が、対立ではなく補完関係として示されているのだ。
「これらの分析から、3つの重要な課題が見えてきました」
村上税理士は、資料を手渡した。そこには、箇条書きで課題が整理されている。
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「これらの課題に対して、具体的な対策を検討していきたいと思います」
村上税理士は一呼吸置いて、父と健太郎の表情を確認した。
「その前に、お二人のお考えをお聞かせください」
会議室に沈黙が流れる。父は腕を組み、遠くを見つめている。健太郎は、手元の資料に目を落としたまま、言葉を探している。
その沈黙は、何か新しい可能性を探る時間のようだった。
【長期戦略策定フェーズ『明日を探る』】
夕暮れの光が会議室に差し込むなか、父が静かに口を開いた。
「木場の街を見てごらん」父が、窓の外を指さした。
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「この辺りは昔から物流の町だった。最近は高層マンションも増えたが、今でも大きな倉庫がたくさんある。その倉庫は古くなれば必ず修繕が必要になる。うちは、それを35年間やってきた」
父は資料に目を戻した。
「確かに、今の時代は難しい。材料費は上がる、人手は足りない。私の経験だけでは太刀打ちできないのかもしれない。しかし、この分析を見ていると、私たちの強みがはっきりと見えてくる。物流施設の改修工事に特化した技術、長年の実績、信頼関係…」
村上税理士は頷く。「そのとおりです。御社の強みがデータから明確に見えてきますね」
新しい資料を広げながら、村上税理士はさらに説明を続けた。
「近隣の物流施設の築年数分布をご覧ください」
そこには、これまでカバーしていなかった地域の建物の築年数が色分けされた地図が示されている。築30年以上の倉庫や工場が、予想以上に多く存在することが一目で分かる。
「このエリアの物流施設の多くが、定期的な補修工事を必要とする時期に差し掛かっています。実は、物流施設の管理会社を何社か回ってきました。すると、彼らが抱える悩みがよく見えてきたんです」
そう言って取り出したのは、ヒアリングノート。びっしりと手書きのメモが記された数十ページの中から、重要な声を抜き出した表を示す。
「大手ゼネコンは、小規模な補修工事には消極的です。かといって、工場の設備に詳しくない地域の工務店では、工事の品質に不安がある」
父が身を乗り出した。「その分野なら、私たちの技術と経験が活きるな」
「そのとおりです」
村上税理士は新しい資料を広げた。「では、より具体的な数字の検討に入りましょう」
そこには、約3年後の経営指標が整理されていた。
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「この数字には、具体的な根拠があります」
村上税理士は、次のページをめくった。
「既存顧客からの安定した受注に加え、物流施設に特化した営業展開により、着実な成長を目指します。また、システム導入による効率化で、現状の人員体制でも十分に対応が可能です」
父は資料に目を凝らしながら、時折質問を投げかける。村上税理士がそれに答え、健太郎が補足を加える。三者の間で、新しい可能性への手応えが共有されていった。
「実は、もう1つ提案があります」今度は、健太郎が資料を取り出した。
「物流施設の補修工事に特化した、新しいメンテナンスパッケージです」
父から受け継いだ技術と、自分なりの新しい視点を組み合わせた提案だ。
「先日の倉庫改修工事が赤字になった原因は、突発的な修繕依頼への対応で、材料調達も工程管理も後手に回ってしまったことでした」
「今回提案するのは、年間契約による定期点検と計画的修繕のパッケージです。24時間稼働の物流施設では、突発的な工事は機会損失が大きい。だからこそ、予防保全の考え方が重要なんです」
村上税理士が補足する。
「なるほど。定期契約により、材料の一括発注や作業の平準化も可能になりますね」
「はい。実際に何社か回ると、このような提案を求める声が多くありました。大手ゼネコンは小規模な補修に消極的で、一般の工務店では設備の専門知識が不足している。その間隙を、私たちの技術と実績で埋められるはずです」
父は黙って資料に目を落としている。しかし、その表情には、確かな手応えが浮かんでいた。
村上税理士が新しいページを開こうとした時、外はすっかり日が暮れていた。木場の街に、次々と明かりが灯り始めている。
その光は、山田建設の新しい一歩を照らしているかのようだった。
(第2回へ続きます)
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